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劇団千年王國『スワチャントッド』

久々のさっぽろのーと更新。
なにせ純粋に観客として芝居を観ること自体久しぶりなのだ。
そんなこんなで、久しぶりのレビュー。

劇団千年王國『スワチャントッド』@コンカリーニョ

【あらすじ】
北国のみなとまち。

漁船で海を漂う男たちに、陸の家族からのこまごまとした伝言をモールス信号で送る姉妹のもとへ
家庭教師のトッカがやってくる。
言葉を使わずモールスの符号を使っておしゃべりする妹とその先生になったトッカは
トントン・ツーのモールスから進化した、スワチャントッドのリズムを見つけはじめる。
そのリズムを偶然受信した電話交換師は、スワチャントッドのリズムが打たれたその日、
街で1件の殺人事件が起こらなかった事実を伝えに姉妹の住まいを尋ね
1件の死刑執行を止めてくれるように依頼する・・・

リズムアンサンブルの楽曲と共に
スワチャントッドのリズムを探して港をめぐる、音楽周遊劇。
(チラシより引用)


※あ、ごめんなさい。以下、ちょこっとネタバレあります。
劇団千年王國は前回公演『イザナキとイザナミ』を演出家コンクールで観て以来2度め。本公演を観るのは今回が初めて。
コンカリの無機質な空間の中央部に、まるで祭壇のようにしつらえてある舞台。こうして見ると、無機質なはずのこの空間に、何かが息づいているように感じられるから不思議。

日常に溢れるさまざまな音、普段ならば“ノイズ”として耳には入ってこないはずのそれらの音が、突然“音楽”を奏で始める。そして気がつくとそれは“音楽”から“言葉”になり、“言葉”から“思い”になっている。
どこかSTOMPや北野武版『座頭一』、そして去年のTIFでやっていた『モローラ --灰--』(台本・演出=ヤエル・ファーバー)にも共通する部分があるけれども、“音楽”が“言語(モールス)”になるという点で、かなり趣の違う作風だ。

モールスで会話する姉(チネン:村上水緒)と妹(チキタ:榮田佳子)。そこへ外部から家庭教師としてやってくる(トッカ:かとうしゅうや)。モールスを使ってコミュニケーションを行うチキタに対し、どこか違和感を拭えないトッカだったが、次第にその中にある言葉に気づきはじめ・・・
戯曲としてみれば、かなり複雑な人間関係が描かれていて、それを言葉少なに描くもんだから余計わからない。
けれど不思議なことに、それはあんまり気にならない。むしろ最後になって奏でられる“音”が、それを理屈以上に語ってくれたような、そんな気さえする。

チキタの奏でるリズムが、とてもシンプルだけれどもものすごく力強い。
言葉にしたらこぼれ落ちてしまうものまで、全部ひっくるめて(リズムとして)吐き出しているような感じ、といえばわかりいいだろうか。
序盤、ひたすらに言葉を追っているうちはとっつきにくかったのだが、次第に芝居を耳で楽しむことに慣れ、それからは芝居にスーッと入り込めた。そして最後はリズムも芝居も急速に締まり、ダイナミックな仕掛けも相まって、安心とも感動ともつかない、言葉にならない感情が込み上げてきた。

再び観る機会があれば、次は目隠しをして観に行こう。
テイレシアスのように、今まで見えなかった新たなものが見えてくるに違いない。

劇場からの帰り道、地下鉄の走る音、傘を地面に叩き付ける音、世間が奏でるリズムにしばし耳を傾けてみた。
なんだか、世界は思ったより饒舌だった。

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